『父とスカイラインと私』
父との思い出は・・・残念ながらというのか
これといって無いのが正直なところ。
理由はいたって簡単で
父が超昭和的若旦那様な生活を送っていたため。
そんな中で、唯一、父との共通点だったのが
スカイラインでした。
とくに父はケンメリ、ジャパン、ニューマン、セブンスと4世代のスカイラインGTを乗り継ぎました。
そんなわけで、わたしは6気筒サウンドを子守唄に育ち、「日産とスカイライン以外はクルマじゃねぇ(超個人的意見)」的なまでに曲りながら成長し、免許取得後初めて運転したクルマもスカイラインでした。
学生時代は父からセブンスを譲り受けて東北、関東と走り回っていたのですが、その後しばらくの間、スカイラインから離れることになりました。
しかし離れている間も、6気筒サウンドが恋しいのと、スカイラインが我が家にいない事がず~っと気になっていました。
父が怪我で家業を離れて10年。そのうち後半は病気療養で入院生活が4年目に入る頃、無理なのは分かっているけれど、突然、父をスカイラインにまた乗せたいという思いと、自分もまたスカイラインに乗りたい!今しかない!という気持ちが沸き上がったら吉日で、求めたのは、ここ最近のスカイラインで一番スカイラインらしく(個人的意見=走りのイイセダンで箱スカのイメージに近いかなと)、そしてデビュー当時に欲しいと思っていたV36型スカイラインを探し始めました。
母も入院中の父に「スカイライン買ったみたいだよ」と伝えたそうですが、
すでに認知症が進んでいたので分かっていたのかどうか。
自分の条件に合うスカイラインを探し続けること半年。やっと関東で見つけました。
販売店とは電話やメールでやりとりを続けながら車庫証明を自分で取り、いよいよすべての準備が整った4月20日。
関東への移動はいつでもクルマで、滅多に新幹線等乗る事がないので今回は背伸びしてグランクラスなんかで関東に向かい、販売店で手続きと支払いを済ませてスカイラインを受け取り、その足で学生時代の同期たちと会う予定でしたが、ひとりがコロナに罹り中止。その日は仙台まで移動して一泊することにしました。
翌4月21日。
無事に我が家に到着してから一度父がいる病院に顔を出し、そしてスカイラインを洗車し終わり晩御飯でもと思ったその時でした。
父が危篤となり、急ぎスカイラインで病院へ向かい、その後まもなく父は旅立ちました。
「私の帰りを待っていたのか」
「それともスカイラインを待っていたのか」
友人知人は皆「そりゃスカイラインだろ」と。
わたしもそんな気がします・・・。
そんな父との数少ない思い出の中からスカイラインを記録として。
ケンメリ(ハードトップ2000GT)
写真は母とわたし。
母曰く。すべてにおいて最大で最強のスポンサーである義父が父に「夫婦だけの新築の家を離れた土地に建ててやっても良いけど、同居してくれたらクルマを買ってやる』と言われた父は、母に相談も迷うこともなく即答で「スカイライン!」と答えたそうで、それが写真のスカイライン。
このスカイラインのハンドル、いまも我が家にあり
いまとなっては父の形見で、家宝にでもしますか。
ジャパン(ハードトップ2000GT-E・SType)
写真は父です。
ジャパンになると結構記憶が残っていて、フロントグリルにでっかい丸フォグ。助手席前の引き出し。天井マップランプ付近の警告灯。独特な位置にある給油口。インパネのでっかい時計。そしてRSワタナベのホイールを履いていた事を強く覚えています。
ニューマン(セダン2000TURBO GT-E・S)
現在ニューマンだけ写真が見つかりません。母と捜索中。
画像はRSターボですが・・・白のセダンボディに父は純正ハニカムグリルをはずしてRSのグリルを装着していたので見た目ほぼ近いと。画像と違う所はドアミラーじゃなくフェンダーミラーだったのとリヤドアのステッカーは(勿論)無かったし、ホイールが先代に引き続きRSワタナベだったのと、泥除けは画像ではリヤのみですがフロントにもADマッドフラップを装着していました。
あと、テクニクスのシステムコンポを装着していたのを覚えています。
ただ・・・度々故障して取り外され、インパネがしょっちゅう空洞になっていたのを覚えています。
他にはターボの「ひゅーん」という音とASCD(クルコン)を父が自慢していたなぁ。
このニューマンで一番の出来事は我が家のスカイラインが2ドアから4ドアになった事。母に聞いたところ、どうやらスポンサーの祖父から「2ドアはもう絶対ダメ!」と言われたと・・・父はもちろん2ドアが欲しかったらしい。
ちなみに。
新型スカイラインが出る度に母は父に頼まれて、義父のところへ購入のお願いをしに行くという儀式をセブンスまで続けました。
普段父はスカイラインを乗りません。乗って月に数回。ほとんど車庫の中にいます。
ジャパンの頃からは冬タイヤすら履いたことがありません。なので普段乗り用にもう一台クルマがいつもありました。
あるときは祖父が乗っていたトヨタマークⅡ。
イーグルマスクと呼ばれたやつです。左右のブレーキランプの真ん中にあるカバーをめくると給油口が現れて。そこをよく開いて遊んでいたのを覚えています。
マークⅡと一緒にいたのが230型セドリック・ワゴン。
これまた自分が生まれる前かある車で曽祖父母用のクルマでした。前席3列の真ん中に座って、電動アンテナのスイッチでアンテナを(左前フェンダーから)上げたり下げたりして遊んでいたのを覚えています。
あと荷台には後ろ向きの3列目のシートがあったり、左リヤフェンダーにある鍵穴で荷室サイドの窓を開閉できるパワーウィンドウがあったり。このセドリックも6気筒サウンドを奏でる大好きなクルマでした。
次にやってきたのが写真のスカイラインエステート。
これも当初は丸目4灯だったのがある日突然、写真のとおり角目4灯とハニカムグリルに変わってて
前から見ると普通のスカイラインに。親父も好きだよねぇ。
セブンス(4ドアハードトップGTパサージュツインカム24V/アドバンスセレクション/HICAS付)
納車されたとき子どもながら豪華になったなぁと思ったのと、6気筒サウンドが歴代で最高にイイ音でした。
そして、これまでスカイラインを誰にも運転させる事がなかった父が、学生の身でありながら自分に何も言わずに譲ってくれたクルマでもありました。
自分が乗った後は弟も乗り、就職後、また私のところへ帰ってきたのでしばらく維持していたのですが、パワステ(ハイキャス)からのオイル漏れが収まらず、当時自分にはもう一台クルマがあったので泣く泣く手放しました。
写真は手放す直前のもので傷へこみ不調一切なし。パワステのオイル漏れ以外最高のコンディションでした。いま思えばですが手放さなきゃ良かったとかなり後悔しています。
ヘッドレストのカバーは父からのリクエストで母が作った物。
父は必ず純正フロアマットの上にさらにマットをしく、それも赤マットをしく昭和的人間でした。
歴代スカGにはピュアトロン(空気清浄機)を装着しておきながら、タバコを吸ってもピュアトロンが汚れるからと言って使わない人でした。
ワックスはシュアラスター。タイヤはミシュランを使い続けた人でした。
車内での飲食は厳禁な人でした。ケンメリかジャパンの頃、泣き止まない私に母がお菓子を与えたら激怒されて降ろされたと言っていました・・・。
洗車する時はガンガンに音楽をかけながら数時間かけて洗車と車内掃除をする人でした。家族や従業員、お客様から「まだ洗ってるのか」とよく言われていました。
車内には布テープを常備する人でした。シート等に埃がつけばすぐ取るためです。
ドアを閉める時、ボディ(鉄板部分)を持ってはいけない、窓ガラスで閉めろという人でした。
そして父がスカイラインでよく聞いていたのがノーランズとドリードッツ。この曲とスカイラインが加速した時に奏でる6気筒サウンドとがリンクした時の高揚感を今でも覚えいます。
父はセブンスをわたしに譲ってからは家業の商用車しか乗らなくなりました。
R32が出た時自分はGT-R復活やこれまでにないデザイン等に興奮したものですが、父はまったく反応なし。父にとってはこれまでのスカイラインの流れから、自分が乗りたいスカイラインじゃないと思ったのかな。
自分が急にスカイラインに戻ろうと思い、買うならV36と決め、条件としては、
・インパネの割れなし(この頃の材質の特長なのかフーガや日産以外のクルマ(ゼロクラウンやBPレガシィ)もインパネのひび割れが多いようで)
・最終年度型
・車両評価あり(内外装ともに4つ星以上)
・整備記録簿あり
・出来れば4WDが欲しいけど四駆はほぼ雪国使用車で錆がねぇ。我が家には他に四駆車があるのでFRでもOK
・錆の点から関東車であること
・走行距離は7万キロ以内
・出来れば禁煙車
かなり狭い範囲の条件で探し始めてから半年が経った頃、やっと条件に合うスカイラインが関東の某外車正規ディーラーへ下取りに入ってきたというのを発見。グーネットに掲載されたその日に即電話をかけて押さえました。
外装は誰が見ても目立つ傷が2点。車両評価に記載が無かったのは・・・(ま、中古ですから)。
内装は希望通りインパネの割れ無し。シートやハンドルの擦れ等も無し。
整備記録を見ると点検も車検もすべて日産ディーラーで受けているし、防錆も(関東なのに)車検毎に施工している。
タイヤはミシュランのプライマシーが履かれていて、前のオーナーさんは大切に乗られていたのかなと。
セブンスから時を経て、新車で買ったNDロードスターを2年で手放して手に入れた11年選手(V36)。
「当然の帰結」とでもいうのか、一周回ってスカイラインに戻ってきました。
所有してみてやっぱり走って楽しく、RBエンジンよりおとなしいとは言えVQエンジンの6気筒サウンドもなかなかどうして、これまた心地よく。
何よりも「スカイライン」という名前のクルマを再び所有する喜び。
色々乗ってきたけど、求めていたのはこれ(スカイライン)だったなと。
そして蛙の子は蛙で、クルマに対して父と同じような事をしている自分。
スカイラインを愛した父はスカイラインが来た日に亡くなり、
骨となった父をスカイラインに乗せる事が出来ました。
もしかして突然スカイラインを買う事になったのは、(父に)そうさせられたのかなと。
このスカイラインを出来る限り維持して、走れるところまで走り続けたいと思います。